2019 Artwork ’プロキオニデスを追う’

 この作品は、中学校でのワークショップで作られたパペット人形と音声、廃材の障子による影絵と、3Dプリンタで出力された木偶人形の頭を借りた町の人の語りの映像によって構成されています。

感覚と興味に従って滞在中に集められた素材(障子、住人の語り、音に変換された言葉、複製された白い木偶人形、指向性スピーカー、パペットの影とその台詞)は、収集されるなかで、人の不在を想起させるものという共通項を帯び始めました。それらをプロキオニデスという実在する動物の存在で結びつけることによって見えてくる、観念的な神山町の昔・今・未来を、鑑賞者の想像力の中で浮かび上がらせる試みです。

[下記は、展示の際に会場に掲示されたテキストです。]

昔話に出てくる生き物は、しばしば言葉では説明できない事態の原因として描かれます。

一般的にヴルペスとプロキオニデスは昔話によく出てくる生き物ですが、徳島県ではプロキオニデスだけ現れます。神山町でも同じだそうです。それだけプロキオニデスはかつての人間社会のなかでは身近なものだったということの現れだと思うのですが、一方、近頃ではほとんど見かけないという話も聞きます。開発や伐採、病気や狩猟などによって住む場所を追われているのではないか、ということです。

私たちが昔話の生き物に託した役割とは、物事を突き詰めないための一種の責任転嫁でもあったりします。自らの失態を他人のせいにする、うっかりミスをプロキオニデスがやったことにする、などです。

一見、良くない考え方のように思えますが、抱えきれない現実を一時的に別の視点から見ることで、心理的負担を減らすという有用な役割もあります。もちろん責任転嫁ばかりしていたら、現実を見失いますが……。ようは諸刃の剣ということで、どこまで自分の思考の癖を理解して用いるか、ということです。

かつては、その「心のクッション」だったプロキオニデスも、現在、神山町ではあまり見られなくなっているということですが、人の心はそう大きくは変わっていないはずです。現代に生きる人の物語の中では、どのような生き物が「心のクッション」の役割を担っているのでしょうか。それを探るために、中学校でワークショップを行い、彼らが思い描くプロキオニデスの姿形をパペット人形にしてもらい、さらに決めゼリフも演じてもらいました。

ワークショップでは、まず、それぞれに配布したアンケート用紙から人形のデザインをしてもらいました。その後、アルミホイルで成形し、カナヅチで叩いて平たい人形にするという工程で進めました。責任転嫁の化身であるプロキオニデスを叩くことには、一種の儀式的作用も担わせています。

プロキオニデスの移動、あるいは減少については開発との関連が言われていますが、その開発の一つの発露として、神山町にある大量の建具の存在があると思います。とくに今回はたくさんの障子が集まりました。集まった障子の分だけ、住まい方の変化を想像させられます。ある家では障子が不要になり、ある家は壊され、など。

ここに、プロキオニデスと神山町の生活環境の相似性を見たように感じました。

そして、プロキオニデスが何かということは、お手持ちのスマートフォンで調べれば分かることですが、本当は何でもいいのです。

すべてがプロキオニデスになり得ます。

存在しないことを証明するのは困難なことです。「ない」ことを証明するためには、すべてを調べ尽くさなければならならず、ほぼ不可能に近いとも言えます。だからこそ、私たちは「ない」ことに対しては無頓着になり得ますし、「ない」状態をどのような位置に据えるか、ということになるかと思います。

神山町で過ごし、制作をしながら、そのようなことを考えていましたが、プロキオニデスには会えていません。

展覧会期|2019年10月27日(日)~11月4日(月・振替休日)、11月9日(土)〜10日(日)
開館時間|土日10:00~17:00、平日13:00~17:00(11/4は16時に閉館します)
会  場|町内各所:劇場寄井座、名西酒造酒蔵、大粟山、豆ちよ焙煎所、他
参加作家|Linus Riepler、狩野哲郎、村上郁

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