会 期:2025年3月8日(土)〜16日(日)
時 間:10:00〜18:00(最終日は17:00まで)
会 場:埼玉会館 第一展示室
さいたま市浦和区高砂3-1-4(JR浦和駅 西口から徒歩6分)
料 金:入場無料
主 催:さいたま市の美術家をつなげる会(https://jsaitama.jp/)
協 賛:Gallery Pepin・三代目満作煎餅、清宮青果
3月9日(日) 14:00 ~ 15:30 アーティストトーク
16:00 〜 哲学者・金澤修氏と出品作家によるトークセッション
参加作家:acubi.xxx、浅野彌弦、菊池遼、熊谷美奈子、佐々木俊明、須惠朋子、高草木裕子、高島芳幸、田中宏美、戸野倉あゆみ、村上郁、諸貫きよ恵、山口真和

~作品って何だろう
制作現場の外側から~
或る写真家は言った。
カメラを使って制作することは、ココロをカタチへ移し入れること、その意味で制作は翻訳に似ている、と。
翻訳は、わからないモノをわかるようにするやり方だ。
ココロにはカタチがない。ココロは見えない。
けれど、ココロは作品に訳されることでカタチを得る。カタチは見える。
確かにそうだ。
そう考えてみれば、あそこに建っているビルも、コンビニのビールも、スマホの画面も、きのう歩いた道も、すべて誰かのココロにあったものが、カタチをとって現れたモノなのだ。
僕たちが生きている街は、僕たちが出会うすべての世界は、「作品」で満ちている。
それらは全て、他者のココロが、そういうカタチに翻訳されたモノなのだ。
僕たちはいつも誰かのココロと一緒にいることになる。
でも、あなたは知っていますか?
それが誰のココロから出てきたモノなのかを。
街中と違って、今日、会場で出会う作品は、誰のココロから流れ出てきて、どう翻訳されたのか、あなたにはハッキリわかるはず。
もしかしたら、そのカタチに、あなたはどこかで出会っていたのかもしれません。
もしかしたら、そのココロの持ち主を、あなたはもう知っているのかもしれません。
そんなときは、あなたのココロの中を、もう一度見直してみてください。
今回の「どこかでお会いしましたね」のテーマは、異業種としての哲学者と作家とのコラボレートです。そこで、自称・哲学者の僕が、制作現場の外側から作家たちを眺めてみました。
(金澤 修 /
東京都立大学非常勤講師・研究員
専門 古代ギリシア・ローマの哲学、比較思想)